いそご文化資源発掘隊2022(3)

その(4)はコチラから


=目次=

第57回 暗渠探索の愉しみ(11月10日の探索編・禅馬川)

第57回 暗渠探索の愉しみ(11月11日の探索編・聖天川)                


第57回いそご文化資源発掘隊 暗渠探索の愉しみ

(禅馬川探索:2022年11月10日)


16号線から禅馬川を遡る(河口までのコースはコチラ



屈曲する細い道、「川界」と彫られた杭、ケーブル名「地下配」。どれも暗渠を暗示するサインである。

【土地宝典】明治から昭和にかけての公図と土地台帳を元に編集し、地番・地目・地籍・地価・所有者名などを記載したもの。

神奈川県立公文書館デジタルアーカイブで閲覧できる。





横道から遊歩道(禅馬川暗渠)へ流れてくる水路。

暗渠化される前の禅馬川。(『岡村の今昔』より)



通常、橋の四隅には親柱が建ち、そこに橋名(漢字)、橋名(平仮名)、竣工年月そして川の名称が書かれるのだが、ここでは禅馬川というプレートがなかったのはなぜだろうか?



この落差を「どんどん引き」といった。その名の由来は、滝のように落下する水が「どんどん」と音を立てていたからだという。(『岡村の今昔』より)





川が2回も直角に曲がっているのは奇妙だ。もしかしたら、本来の禅馬川は赤色で示したラインを流れていたのではないか。学校を建設するために流路を変えたと思える。





どうやらこの辺が久良岐ルートの水源地のようである。

もっと先まであるようだが、探索はここで終了とした。



このあと、汐見台ルートを探索する時間がなかったため、ここからは事前の調査探索で見たもの確認したものを掲載しておく。

道路を越えると、暗渠らしさがなくなる。







 このあたりの高台が水源なのではないか。

町は平らな土地にできているが、周囲には小高い台地があり、そこから水が湧き出しているのではないか。

 かつて汐見台は赤穂原と呼ばれていた

赤穂の塩のことを「赤穂塩」といい、赤穂はブランド名であり、やがて赤穂=塩を意味するようになった。製塩するための燃料=樹木・草などを供給する地を赤穂原といったのではないか



森浅間神社の朝日不動滝

汐見台に隣接する森浅間神社には朝日不動滝がある。その由来について、こう書かれている。

[この滝の水源は背後の赤穂原台地より現汐見台に湧出する清水で、古来より存在していた。(中略)この滝に不動明王を祀り不動滝として修験者の修行の場とした。(中略)寛政十二年幕府により女人の富士登山が許されてから富士信仰が盛んになり、各地に富士講中ができた。森浅間神社には富士山を象り三方からの登山路があり、信者から武州小富士として崇敬され、多くの富士講中の人々が白装束でこの滝に打たれて祈願した]



第57回いそご文化資源発掘隊 暗渠探索の愉しみ

(聖天川探索:2022年11月11日)


まずは新杉田から河口へ





川に沿って海の方へ歩いて行くと橋が現れた。

聖天川の河口



聖天川河口の先に広がる杉田臨海公園

釣りをする人たちが多い



参加者は新杉田に戻って上流を目指す。青いラインは川跡ではないが、聖天地蔵を見に行く。



聖天川の本流は現在の杉田商店街の裏道を流れていたが、支流もいくつかあった。



国道16号から杉田商店街に入り、2本目の路地を左に入る。これが暗渠になった聖天川だ。

境川と聖天川は第2踏切を渡ったところで合流していた。水をよく使う工場が川沿いにある。





『土地宝典』(杉田大谷)より

京急の線路に沿って登っている。右には池?





環状3号線にでるとこんな調整池があった



大谷ルートはこのあたりであきらめて、再び分岐点に戻って今度は坪呑ルートを辿ってみることに。養魚場から先は「土地宝典」による。

養魚場では大量の水を使っていたに違いない。ここから聖天川へ水を流していたのだろう。

現在、ここは住宅地になっている。





線路に沿って右側(洋光台方面)から大量の水が流れている。



ガードをくぐり再び向こう側へ。そうすると、こんな水の流れがあった。先ほど見た流れにつながっているようだ。







ここから先はフェンスがあってこれ以上進めない。

この裏あたりから水が沸いているようだ。