いそご文化資源発掘隊2021


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第50回  まち歩きが楽しくなる神社のお話③


第50回いそご文化資源発掘隊 まち歩きが楽しくなる神社のお話③

(2021年3月10日開催)

第1部 お囃子演奏 岡村囃子一友會

第2部 まち歩きが楽しくなる神社のお話③

第1部 お囃子演奏

 出演:岡村囃子一友會

第2部 まち歩きが楽しくなる神社のお話

講師:小沢朗(神社ソムリエ)

  

磯子区には15の神社があり、それぞれお祭りが行われています。平成30年、令和元年とお祭りの現場を見せていただいたり、お話しを伺ってきましたが、この1年はコロナでお祭りが縮小され取材活動もできませんでした。このようなお話しをする機会も3回目になるのですが、今年は実際のお祭りができない、見られないという時期だからこそ、お祭りの起源からその後の発展などを振り返る機会にしたいと思います。大きなテーマです。ステイホームして勉強したことを、私なりに整理した流れでお話しいたします。

 

私の先祖は江戸時代を通して静岡の山奥で代々神職をしてきました。当時の神職免許状も残されています。曾祖父までは神職だったのですが、祖父と父の代では誰も継ぎませんでした。私は60歳近くになってDNAに呼び覚まされたように神道の勉強を始め、資格を取得し、小沢家では百年ぶりに神職が復活しました。

 

もう一つ事前質問をいただいたのが、「神社ソムリエ」という肩書きは公的な資格なのか、ということです。これは杉田劇場の中村館長がつけてくれました。親しみやすい感じがよいとのことだと思います。

ソムリエとは元々レストランで客の相談をうけてワインを選定・提供する専門職です。各神社のことは、その神社に聞くのが一番です。私は神道全般からみたご案内役かと思っています。まだまだ勉強途上ですので、皆さまからのご意見ご助言で、育てていただければと願っています。

 

本題に入ります。

祭りの起源は、『古事記』や『日本書紀』という日本最古の書物に求めることができます。

『古事記』には「天岩戸伝説」という一章があります。

神代の昔、太陽の神アマテラスが岩戸の影に隠れてしまい、この世に日の光がなくなり困ってしまいました。皆で相談して何とかしようと、榊を立てて飾りをして、祝詞をあげてお祈りをしました。そして踊りをして皆が盛り上がったところで、アマテラスの気を引いて、こちらに引き戻し太陽が復活した、というお話しです。

 

このアマテラス(天照大神)は二つの性格をもっています。太陽の神であり、皇室の祖先神です。古事記には擬人化された神さまが描かれています。昔の人は、自然現象など知識で理解できないことは、神さまの仕業を考えました。神さまを人間とみたてて、喜んでもらうようにオモテナシ(飾り、踊り)をして、お祈りのコトバ(祝詞)を申しあげたのです。

 

このようなお祭りは、もともと屋外の山のなかで行われていました。そのような場所に常設の施設を設けたのが神社の始まりです。ですから神社は神さまが居る場所に相応しいところにあります。後に創建されたり、移った神社も当時の人たちが、神さまを感じるような場所を選んだのでしょう。山の頂であったり、中腹であったり、山を背負っている、あるいは水辺など。社の前には古道が通っていたりします。近くの神社がどんな立地なのか、まち歩きのとき、そのような観察をするのも楽しいと思います。

 

『日本書紀』には第10代崇神天皇のお話しがあります。疫病が流行って国の半数もの人が亡くなってしまうのですが、仕組みを整えて神の祭りをしっかりと行ってことにより、災難が去ったというものです。その仕組みとは、三点あります。

第一に神さまを祭る場所が家の中から公共の場所になったこと。

第二に各地域でそれぞれの神さまを祭るようにしたこと。

第三に経済的に支える仕組みをつくったことです。今でもお賽銭の習慣として続いています。このような仕組みが整えられたことにより、人々は安心して祭りに参加し、共感しあって不安を解消することができたのではないでしょうか。

 

お祭りは、その後発展をとげ現代に続いてきます。中世では、京都祇園祭りなど都市の祭礼が始まります。江戸時代には中心地江戸で発展し、それが地方都市にも伝わります。祭には、神輿、山車(だし)、囃子がつきものです。

神輿は神さまがお出かけする時に乗る物です。神体または神霊が遷されます。奈良時代に最初の神輿が出たようです。

山車は動く建築物で、飾り付けを見せたり、芸能の舞台になったりします。その原型は平安時代京都に登場します。

囃子は、笛、太鼓、鉦で構成される音楽です。囃す、とは楽器や歌で賑やかにすること。

祭りの行列は、山車・神輿などで構成され、江戸後期に確立します。それが各地に広がり、横浜にも伝えられました。

 

幕末の開港後に急発展した横浜に総鎮守伊勢山皇大神宮が明治3年に創建されました。山車が十五本、ほかに踊りなどが加わり、たいそうな賑わいであったと伝えられています。当時の写真や版画などが残されています。

 

磯子区内の事例をみてみましょう。森浅間神社の山車は江戸後期のものです。根岸の榊神輿は横浜市指定無形民俗文化財です。八幡橋八幡神社や杉田八幡宮には見事は神輿があり、例祭で町内を巡幸します。その取材は一昨年夏にさせてもらいました。岡村天満宮には10基の神輿と1台山車の山車があり、昨年夏に拝見するのを楽しみにしていましたが、コロナでかないませんでした。

 

岡村のお囃子は第一部で演奏くださいました。岡村では神輿と囃子の会が昭和53年に発足したのですが、戦後しばらくは出番がなかったものを復活させたそうです。根岸の榊祭りも戦後の埋め立てでやらなくなったのを昭和60年に地元の人たちが復活させました。

 

磯子区には現在15の神社がありますが、そのうち7社は戦後に再建されたものです。明治末に国の政策により神社統合が進められ、地元の神社がなくなってしまいました。

終戦直後の昭和22年、栗木・田中・金山・峰・上中里・氷取沢の6村では自らの村に神社が戻ってきました。平成元年には若宮御霊神社が洋光台一丁目に再建されました。令和元年秋には台風でいくつかの神社が被害を受けたそうですが、修復がなされつつあるとお聞きしました。

 

自然災害といえば、明日で東日本大震災から10年を迎えます。被災地では祭りを復活させることで地域の絆が戻った、力がわいてきた、という声が聞かれます。同時に過剰な価値を構築してしまうことへの配慮も必要なようです。担い手のプレッシャーになってはいけません。

  

このように、お祭りはその起源から今日まで、再生と復活の繰り返しでありました。古くからあったものが淡々と続いてきたのではありません。地域の祭りは地域が担っています。困ったときこそ、お祭りを楽しく!疫病と自然災害がないように、収穫と成長を願うのは古代から同じです。復活と再生は、DNAとして地域に組み込まれているように感じられます。

 

祭りという文化には、担い手となる人、支える人、応援する人がいます。それぞれが、できることを、できるときに、できる範囲でやるということが、再生と復活につながるように思います。

以上、祭りの起源から今日までの流れを私なりに整理したお話しいたしました。皆さまは如何お感じになられましたでしょうか。

 

 

以上、祭りの起源から今日までの流れを私なりに整理したお話しいたしました。皆さまは如何お感じになられましたでしょうか。